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西郷隆盛と沖永良部島
西郷隆盛は、1862年夏、この沖永良部島に流罪となりました。雨ざらしの過酷な牢獄生活、島での勉学・出会いが、「敬天愛人」の思想を生み出しました。
また、子どもたちに手習いを教えたことも自らを高めたものと思われています。西郷隆盛から、教えを受けた子どもたちは、その後、優れた人材となって近代の島の発展に尽力しました。特に、土持政照とは、義兄弟の契りを結んでいました。
※土持政照は、当時の監視役で、後に沖永良部の島役人の最高職である戸長を務めました。

1.位置と気候

昇竜洞
昇竜洞

沖永良部島は、鹿児島市から南へ552km、北緯27度線の上にぽっかり浮かぶ周囲55.8km、面積93.8平方kmの隆起サンゴ礁の島です。和泊町、知名町合わせて人口1万5千人余。年間平均気温22度という温暖な気候に恵まれ、四季を通じて、熱帯・亜熱帯の花々が咲き誇り、エラブユリ、グラジオラス、スプレーキクなどの栽培も盛んです。東洋一の鍾乳洞「昇竜洞(しょうりゅうどう)」をはじめ200〜300の大鍾乳洞群が地下に眠っていて、「花と鍾乳洞の島」として知られています。また、奄美群島の中でもハブがいない島で、安全に自然の散策が楽しめます。恵まれた自然を生かしたタラソテラピー施設や観光地、澄みきった青い海と青い空、まばゆい太陽が、皆様のお越しをお待ちしております。

2.自然

田皆岬
田皆岬

沖永良部島は隆起サンゴ礁の島です。その性質から溶食され、鍾乳洞のような特有の地形がたくさん形成されていす。200〜300の鍾乳洞の一つ『昇竜洞(しょうりゅうどう)』は観光資源として公開され、その美しさとスケールは東洋一といわれています。さらに、2006年の再調査によって、なんと総延長10,294m、日本で2番目に長い鍾乳洞であることが判明しました。

フーチャ
フーチャ

また、『田皆岬(たみなみさき)』の断崖絶壁(40〜50m)では、基盤岩の上にサンゴ礁が隆起した様子がよくわかります。国頭岬では、隆起サンゴ礁の岩盤がまるで溶岩原のように海面にせり出していて、その岩盤が荒波の侵食でえぐりとられた『フーチャ(潮吹き洞窟)』があります。『田皆岬』と『フーチャ』では年中ウミガメを見ることが出来、1〜4月には、クジラウォッチングができます。

3.農業

サトウキビ畑
サトウキビ畑

沖永良部島の基幹作物として、代々続いているサトウキビ栽培は、環境保全型農業の作物であり、黒砂糖や砂糖汁は健康食品です。枯葉は有機肥料の原料となり、搾りかすは再利用されキビの葉っぱは肉用牛の飼料となっています。黒糖焼酎の原料でもあります。太陽の光いっぱい浴びて、みごとに育ったサトウキビは、まぎれもなく「南の島の緑の宝」です。
昭和45年から始まったじゃがいも栽培は、平成7年統一銘柄“沖永良部バレイショ「春のささやき」"として、“かごしまブランド産地"の指定を受けました。赤土の固さと粘っこさに育まれた「春のささやき」は、2〜5月にかけて全国の市場に掘り立ての新じゃがいもが届けられています。
また、沖永良部島で飼っている牛は、すべて黒毛和種と呼ばれる肉用牛です。
黒毛和牛の鹿児島黒牛は全国ブランドとして、消費者に注目されていますが、その子牛供給源としてえらぶ牛が含まれています。優良種雄牛の人工授精で生まれた子牛は、8〜10ヶ月えらぶで育てられ、本土で18〜20ヶ月さらに飼育された後、高級肉質牛として消費者に届けられています。

4.漁業

セリの様子
セリの様子

沖永良部島を取り囲むサンゴ礁の海は、たくさんの魚介類を育み、島民の食料として、豊かな恵みをもたらしてきました。近年は、伝統的な素潜り漁、追い込み漁、曳き縄漁などの漁法に加え、ソデイカ漁、浮き漁礁を利用したマグロ旗流し漁が、盛んに行われるようになっています。
無限の可能性があるかにみえたマグロ漁やソデイカ漁ですが、国際的な規制や本土漁船の参入により、資源が急速に減少してきています。そこに燃油の高騰が追い打ちをかけて経営を圧迫し、このような遠海での操業を追い詰めているのが現状です。
島では、禁漁期間(5月1日〜8月20日・イセエビ、夜光貝、アサヒガニの禁漁期間)を設けたり、魚類の放流など、育てる漁業に積極的に取り組んでいるため、特に世界的に減少傾向にある夜光貝においては、水揚げ量が大幅に増加するなど効果が現れています。

5.歴史

世の主の墓
世の主の墓
世の主の骨壺
世の主の骨壺

沖永良部島は、歴史を伝える古文書の乏しい島です。特に中世の記録は皆無である中、歴史を伝えてくれるのが、先人から語り継がれてきた多くの伝承です。
その中でも避けて通れない歴史伝承が『世之主〔よのぬし〕伝説』です。世の主は、琉球三山時代に、島のノロと琉球北山王との間に生まれ、えらぶの統治をまかされ、島に赴いたとされています。世の主は島内の豪族(アジ)を家臣とし、平穏に島を統治していましたが、三山を統一した中山王の和睦の船を軍船と思い込み、自ら妻子と共に命を絶ってしまいます。家臣や島民は悲劇の島主を哀れみ、壮大な墓「世の主の墓」を築き、世の主の権勢と悲哀を今に伝えています。

西郷南洲翁
西郷南洲翁

明治維新の大業を成し遂げた偉人の一人、『西郷隆盛』は、この沖永良部島に流罪となりました。雨ざらしの過酷な牢獄生活の中、島での勉学がその後の西郷隆盛の人間形成に大きく役立ったことは、いうまでも無く「敬天愛人」の思想を生み出し、「南洲」という称号を使い始めて、人間西郷が成長していきました。

6.民俗・文化

*昭和の沖永良部を写真と共に紹介しています。昭和の沖永良部写真展
芸能(踊り)
伝統芸能

沖永良部島は14〜15世紀の琉球三山時代には、北山王国の支配下にあり、その後、統一琉球王朝の領地になりました。また、16世紀に入ると薩摩藩の直轄地となりました。時代は昭和に移り変わり、1945年8月15日、長かった戦争が終わると米国海軍政府の統治下となり、8年間の異民族支配を受けました。

復帰を喜ぶ島民
復帰を喜ぶ島民

このように、沖永良部島は文化的にも、政治的にも特異な歴史を経て今日に至っていますが、南北双方からの影響を受けた独特の島の芸能文化を育んできました。これも先人たちがえらぶ独特の形に仕上げたもので、それ自体が、琉球(沖縄)と大和(鹿児島)の境界に位置する沖永良部島の、多様で深みのある文化の特色といえます。

【参考文献】

・沖永良部島100の素顔

・和泊町歴史民俗資料館